庄内神社のご案内
神紋 左三巴 社格 村社
主神祭 伊邪那岐命
鎮座地 三重県鈴鹿市東庄内町2453番地
社殿 本殿(神明造) 拝殿 社務所 手水舎
※本殿は平成6年遷座

  

由緒

当社の創祀に関して、史料が少なく難しいですが、古代神社の戸籍簿といわれる延喜式というものがあり、延喜式内社という神社はこの神名帳に記録されています。
古代行政区画の鈴鹿郡には19の神社が記録されていますが、そのひとつに式内天一鍬田神社(しきないあめのひとくわたじんじゃ)という記録があり、当社所蔵には天一鍬田大神社と表記された木札があり、当社は延喜式に記録されていた神社だと考えられます。

近世の「亀城兎園記」(きじょうとえんき)には八幡明神と記され、三国地誌(1755年)やその他の地誌類をはじめ、国学者の式内社考証類は当社を式内天一鍬田神社としており、往古は村内に鎮座していましたが、天正伊賀の乱(1580年)により下宮代の地に移り、明治初年、村社に列格、明治40年の政府による神社整理により、村内の40社を合祀し、社名も庄内神社と改称し、平成15年には養蚕神社を合祀して現在に至ります。


明神と称す(原村村誌)

入鴫明神(八嶋の転記誤りと思われる)と称し、大社として御厨・御園が多くつき盛大であったとされる。後に衰えたが、江戸時代には亀山藩主から供田を寄せられた。

【明神とは】
諸社のうちでも、特に霊験の著しい神

【御厨・御園とは】
貢納、貢進を担う所領を意味し、御厨は神前に供える魚介類を納め、御園は蔬菜を献上する。

神饌幣帛料供進社

律令制下の『延喜式』に倣い、新たに神社を等級化すべく作られた社格。神饌幣帛料供進社とは地方公共団体から神饌幣帛料を供進された神社のことで、当社は明治39年にこの指定を受けました。
この制度は、昭和21年のGHQの神道指令により、神社の国家管理が廃止されるのと同時に廃止されました

庄内神社の御祭神(22柱)

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伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
速玉之男命(はやたまのおのみこと)
神直日神(かむなほびのかみ)
大直日比之神(おおなおびのかみ)
御食津神(みけつかみ)
久々理比賣神(くくりひめのかみ)
須佐之男命(すさのおのみこと)
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譽田和氣命(ほむだわけのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
大事忍男命(おほごとおしのをのみこと)
木花佐久夜比賣命(このはなのさくやひめのみこと)
大雀命(おおささぎのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
八十禍津日神(やそまがつひのかみ)
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大山祇命(おおやまづみのかみ)
火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)
大名牟遅命(おおなむちのみこと)
市杵島比賣命(いちきしまひめのみこと)
菅原道眞命(すがわらみちざねみこと)
豊受姫命(とようけひめのみこと)
金山比古神 (かなやまひこのかみ)
大山咋神 (おおやまくいのかみ)
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その他資料


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三重県鈴鹿市東庄内町2453番地
庄内神社

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